福岡市の無形民俗文化財
(福岡県福岡市)
およそ2,400年前の稲作の遺跡「板付遺跡」(国指定)、江戸時代に博多湾志賀島から発見された「金印」(国宝)、平安時代の迎賓館「鴻臚館跡」(国指定)、鎌倉時代の「元寇防塁」(国指定)等々、対外交流の門戸であった本市には数々の有形・無形の文化財が伝えられています。
博多の総鎮守櫛田神社に奉納される「博多祇園山笠行事」(国)は鎌倉時代、宋から帰国した聖一国師が疫病退散のため施餓鬼棚にのり聖水をまいて博多の町を練り廻ったことに始まると伝えられます。遣明副使策彦周良が逗留中に見た正月行事「松ハヤシ」は「博多松ばやし」(県)の名称で5月の「博多どんたく港まつり」の要となっています。「どんたく」は明治維新後禁止された「松ばやし」を、オランダ語Zondag(休日、英語Sunday)の名をかりて明治12年に再開したことに始まりますが、寛永年間以降佐賀(鍋島)藩と隔年交替で長崎警備に当たった福岡(黒田)藩の歴史を感じさせるネーミングです。
「博多仁和加」(市)は顔を隠す「半面」という仮面、仮面の下から発せられる風刺のきいた即興の台詞から「悪口祭」を想像させられます。歌舞伎仕立ての大阪仁和加に似た「段物」は明治・大正・昭和初年の現代劇で、勝軍地蔵堂のお盆で毎年演じられます。博多弁が今後存続できるか否かが鍵になります。
奈多の「志式座」(市)は花道も備わった明治初年の常設の野舞台です。夏の祇園祭では万年願として毎年買芝居が志式神社に奉納されます。八朔(現9月1日)の「今津人形芝居」(県)では子ども達も人形を操り、三味線を弾き、浄瑠璃を語ります。保存会恵比須座の方々の後継者育成の成果です。この10年は登志神社境内に仮設舞台を設え演じてきましたが、大がかりな舞台のため難しい面も出ています。
正月と夏の「今宿青木獅子舞」「元岡獅子舞」「宇田川原豊年獅子舞」(市)は三味線や太鼓のお囃子に滑稽諧謔な台詞を交えた演劇的な獅子舞です。「石釜のトビトビ」「金の隈の鳶の水」(市)は来訪神に扮した子どもが各戸を言祝ぐ正月行事ですが、かつての農山村とは言え今は蓑作りの藁の確保に苦心しています。
夏、「田隈の盆押し・盆綱引き」「草場の盆綱引き」「西浦のかずら引き」(市)はそれぞれカヤ、藤葛、くず葛で盆綱を綯い地域性が豊かです。「志賀島の盆踊り」(市)は小豆入りの綾竹を打ち鳴らし、瀬戸内海辺とも似た旋律や歌詞の音頭には哀愁があります。一方、「城の原の盆踊り」(市)は鈴木主水の口説きの中、団扇を振りかざしナンバを踏みながら力強く踊られます。秋の「飯盛神社当流流鏑馬行事」「能古島白髭神社おくんち行事」(市)も見事です。
本市ではその他、無形文化財を含めた23行事に各8万円を補助し行事の保存継承に役立ててもらっております。また昨年は「福岡県西方沖地震」被災への復興支援の意味もかね、文化庁の「ふるさと文化再興事業」に採択していただいた志賀島を中心にした「歩射祭」や「玉取祭」など8行事の映像記録を作製しました。
志賀海神社歩射祭 筥崎宮玉取祭