曽爾の獅子舞について
(奈良県曽爾村)

 門僕神社(別名「春日大社」とも言う。)は、ぬるべの郷、曽爾谷(八大字)の氏神であり、延喜式神名帳(927年完成)には大和国宇陀郡十七座のうちの一つと記されている古社で、鳥井脇には奈良県指定・天然記念物である「お葉付きイチョウ」があります。門僕神社は曽爾村のほぼ中央、大字今井に位置し、秋祭りは古くは旧暦の九月九日、のち十月十日となり、近年体育の日の前の日曜日と定められ、曽爾村三大字に伝承されている獅子舞が神事の後に奉納されます。
 獅子舞は、大字今井、大字長野と大字伊賀見の三大字の青年を中心として継承され、それぞれが今井奉舞会、長野奉舞会、伊賀見奉舞会と称し、三奉舞会で門僕神社獅子舞奉舞会を構成しています。これら三奉舞会は神社への奉納以外に自分の地区と獅子舞を持たない他の大字を分担し「荒神払い」と称して舞い歩き、これによって八大字の祭礼と獅子舞とが融合した形となっています。
 この獅子舞の起源については、大字長野に伝わる大正十一年以降の当屋文書によれば、享保三年(1718年)の条に「御神楽獅子舞当年乃五穀成就村安全のため(中略)於御神前舞申候」と記されており、また長野が獅子舞を習ってきて伊賀見と今井に教えたという伝承もあることから、ほぼこの頃より伊勢の大神楽などを導入し、地元民の手によって獅子舞が始められたのではないかと思われます。.門僕神社の秋祭りには早朝から各大字の当屋、兼当、脇(いとなみ)が社務所に集まり、白衣に水色の裃をつけたこれらの者が榊の葉を口にくわえて献饌を行います。神饌には、「犬の舌」「牛の舌」という名の餅や、ズイキを束ねた芯の周囲に柿と餅を竹串で刺し、上部に鶏頭の花をさした、人身御供の変わりと言い伝えをもつ「スコ(頭甲)」があり、献饌を「オスコあげ」と呼んでいます.。このスコあげが執り行われると獅子舞は始められます。
 まず、石段を登って拝殿前広庭で舞われ「悪魔払い」「参神楽」「獅子踊」「接ぎ獅子」等が舞われ、締めくくりとして三大字合同で「荒舞」が舞われ、昼頃(十二時)に終了します。広庭の端には、使用する道具や面で飾られた獅子のやかた(長箱)が、川の流れの順(大字長野・今井・伊賀見)に置かれ、その前に太鼓、笛、スリガネ役が一名ずつ立ち囃子となります。獅子舞は、すべて二人立ちで「マエ」と「アトモチ」にわかれ、演目ごとに「剣」「鈴」「御幣」を持ち、「天狗」「鳥兜」「オカメ」「ヒョットコ」等が登場し、「ササラ」を擦りながら広庭を駆けめぐります。
 各大字の青年層を中心に厳しい練習により代々伝えられている一連の獅子舞は、その種類の豊富さと質の高さにおいて高い評価を受けており、昭和五十四年に奈良県無形民俗文化財に指定されています。また、およそ三百年の伝統を持つ獅子舞を絶やすことなく、いつまでも継承するため、「曽爾村郷土芸能を守る会」が結成され、行政・村人が一丸となって保存継承を図っています。
 曽爾の獅子舞は、奈良県無形民俗文化財に指定されていることから、近年は門僕神社の秋祭りだけでなく村や県の催し、国立曽爾少年自然の家での全国規模の行事等で舞われる機会が多くなっていますが、近年の課題として農山村の共通課題とも言える、過疎・少子高齢化が進展しており、青年層が少なくなっています。このことから三大字の青年のみならず他の大字からも奉舞会に入会し、全村あげて獅子舞伝承を支える機運が高まってきています。
   (曽爾村教育委員会)

 継ぎ獅子    獅子踊り 

  参神楽


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