棚倉町の民俗芸能
(福島県東白川郡棚倉町)
国指定重要無形民俗文化財「都々古別神社の御田植」
旧暦の1月6日の午前10時から、拝殿を舞殿として行なわれ、古くは夜に行なわれたと伝えられています。八槻都々古別神社は、奈良時代に編纂された『延喜式』にも記載がある神社で、旧社号を近津大明神といい、奥州一の宮と称しています。かつての氏子は県南地方一帯を占め、信仰の広さと厚さでは県内でも指折りの神社でした。御田植は古くから神社に奉仕する社家と呼ばれる人々が楽人となって、拝殿で演じる稲の豊作を祈念する芸能で、伝来の時期は不明ですが、その形態から室町時代以前から行われていたとされています。
祭典と神楽に続いて、拝殿や太鼓を田に見立て、餅の鍬や早苗に見立てた松の小枝などを持って、田植えまでの過程をせりふと簡単な所作で順に模擬的に演じます。田植え終了後に水口祭として鍬を肩にかついだ天狐による舞があり、最後に中飯として参列者に切餅を蒔いて終わります。
古くから社家が演じて来ただけに、能や狂言のように良く洗練されています。演目ごとに楽人が掛け合う口上は丁重で、堀をさらう演目での、「ガリ、ガリ、ガリ・・・ガリ」や畔ぬりを演じる際の、「ガンブリベタリ、ドロリベッタリ」など、演じながら発する擬音も特徴的です。
なお、地元の町立近津小学校郷土史クラブでは、平成10年度からこの御田植を部活動の一つとして学んでいます。活動の成果を校内の学習発表会や県の民俗芸能大会等で積極的に発表しています。
都々古別神社の御田植